吉野川下流域の高地蔵についての解説

NHK徳島放送局「防災てくテク!!」(2025年4月10日)の番組内で,東黒田のうつむき地蔵が紹介されました.その中で「この高さまで水が押し寄せるということを伝えるため江戸時代に作られました」との説明がありましたが,本地蔵において「水が押し寄せるということを伝えるため建立された」と書かれた史実はありません.

吉野川事典(1999年)において,「大正元年の洪水時には蓮華座まで水が来たとのことである」との史実はあります.

吉野川下流域には台座が1.0m以上の高地蔵が多く建立しています.頻発する水害に対する地域住民の祈りや,素封家らの財力によって造立された背景があります.地蔵の台座の高さが洪水リスクを示す一つの指標として,現代の私たちに洪水の恐ろしさを警鐘しているものですが,必ずしも意図的に「この高さまで水が来る」と示すために建立されたものではないことを,下記で補足解説します.


香川大学の松尾ら(1999)が現地調査をした結果,吉野川下流域には台座高1.0m以上の高地蔵が200体近く建立していることがわかっています.

これだけ多くの高地蔵が密集して確認されている地域は全国でも吉野川下流域のみです.

これらの高地蔵の位置を,吉野川の洪水浸水想定区域図に落とし込んだものが下図です.吉野川の氾濫域と地蔵の建立場所は重なっていることがわかります.

さらに,高地蔵の台座高に応じた表示では,青色(1.0~1.5m),黄色(1.5~2.0m),赤色(2.0m以上)に分類されており,赤色の●は主に吉野川南岸の低平地(石井町・国府町)に集中しています.これは、浸水深が深い地域において,より高い地蔵が多く建立されていることを示しており,高地蔵の存在が吉野川の洪水リスクの高さを象徴していると考えられます.そのため,高地蔵は「洪水警鐘」や「ハザードマップ」としての機能を持つとされています.

吉野川下流高地蔵分布図出展:吉野川の語り部地蔵高地蔵探訪ガイドブック,国土交通省四国地方整備局徳島河川国道事務所(WEB版はこちら


石井町教育委員会が発行した『石井の庚申さん地蔵さん』(平成10年)によれば,石井町では地蔵の造立が1750年前後に集中しており,現存する地蔵の約40%がこの時期に建立されています.この理由について「吉野川は年に幾度も大洪水が続いたこと,加えて旱魃,疫病の流行りもあり,これらの災害から逃れたい,救われたいという村人達の強い願いと藩政による村の連帯感が地蔵講を生み,地蔵の造立となった」とされています.


また,「洪水の常襲地帯では適度の水を祈った雨乞い,水難防止,家内安全,五穀豊穣を地蔵に祈願をする念仏講や地蔵和讃を唱える講などが生まれ,庶民と地蔵信仰への結びつきはますます深くなった」とあり「『地蔵も洪水から護ろう』という意識が高まって高地蔵が吉野川の旧河道筋にできるようになる」とあります.



さらに地蔵の造立については,北條(2002)により「造立の契機は,真言唱和回数の満願や六十六か国巡礼の成就などを顕彰することであったり,無縁仏や自家の先祖を供養することであったりと多様」「高地蔵の造立される背景には一律でない様々な契機が存在したはず」「洪水と短絡的に結び付けられるものではない」との指摘があり,全ての吉野川流域の高地蔵が水害に関係するものではないこともわかります.

加えて,「地蔵像の調達には石材と石工の技が必要である.まずこれに見合った財力がなければ石造造立はかなわない」「この地域は当時とりわけ豊かな土地だったと認識されるべきである」ともあります.

参照:北條ゆうこ(2002)シリーズ徳島に遺る阿波④「高地蔵」のこと,四国徳島城下町通信第9号,pp.17-23.


この地域の豊かさは,吉野川の氾濫によってもたらされた肥沃な土壌による藍の生産によって支えられていました.特に石井町や国府町では藍作が盛んで,藍商人を中心とした素封家の存在が,財力面でも高地蔵の建立を支えていたと考えられます.


以上のことをまとめると下記事項になります.

・吉野川下流域には台座の高い地蔵が集中してる

・この地域では昔から水害が多くあった

・石井町の地蔵の造立は,立派な堤防がなかった1750年前後に集中している

・高地蔵の建立には財力が必要

・吉野川の洪水常襲地帯では藍の生産が盛んで豪放藍商などの素封家が多くいた

・今日の吉野川洪水のハザードマップと高地蔵の分布は一致している


つまり,地蔵が高くなった理由には諸説ありますが,明治期以前は現在のような立派な堤防はなく,洪水を防ぎきることができず,そうした暮らしの営みの中で「地蔵が水に浸かっては申し訳ない」という地域住民の想いが,地蔵の高さを高くしていったと考えられます.

こうしたことから,吉野川下流域の高地蔵は現代に水害リスクを知らせる洪水警鐘のランドマークであり,吉野川の洪水遺産といえます.


なお,番組で取り上げられた東黒田のうつむき地蔵は,文化八年(1811年)に建立されたものです.全高4.19m,台座高2.98mと県内で最も高い地蔵です.地蔵の顔がうつむいて下を見下ろすその姿から「東黒田のうつむき地蔵さん」の愛称で地元の人々に親しまれています.『吉野川事典』(1999)によれば,「大正元年の洪水時には蓮華座まで水が来たとのことである」との史実もあり,歴史的にも水害と関係が深いことがうかがえます.


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