【コラム2】沖洲蛭子神社の百度石のお話

これまでに地震や津波,洪水等の自然災害にあってきた地域では,その危険性や教訓を知らせるための伝承碑が残されています.

平成30年7月豪雨で多くの犠牲者を出した広島県坂町にも100年以上前に起きた水害を伝える石碑があったが,地元住民はそのことを十分に認識しておらず,教訓を活かすことができませんでした.

このようなことから近年,国土地理院は災害教訓の伝承に関する石碑を「自然災害伝承碑」として登録し,その情報をマップ上で公開しています.


四国では2021年10月現在,徳島県25,香川県15,愛媛県12,高知県80の合計132が登録されています.

今日はこの自然災害伝承碑にも登録されている,徳島県沖洲地区にある蛭子神社の「百度石」についてお伝えしたいと思います.

この「百度石」には,およそ167年前に起こった安政南海地震(1854年)の時の教訓が下記のように,書かれてあります.


嘉永7年寅年11月5日に大地震が起き,人々はうろたえて竹林に逃げ込んだ.津波が来ると騒ぐ声に驚いて船に乗った者は押し流され,危うきところを助かったり,舟が転覆して命を失ったりした者もいたので,絶対に船に乗ってはいけない.

また,家が潰れ,炬燵やかまどから火が出て家や蔵の多くが焼けたので,このようなときは火の元に気を付けることが大事である.100年たつことにはまたこのような地震があると聞くので氏神の前に百度石を建てたときに一緒にこの文を刻んだ.

【参照】徳島市教育委員会発行:徳島市史第六巻 戦争編・治安編・災害編,R2年3月,P832.



「百度石」の碑文は元々3面に書かれていましたが,砂岩で造られているため劣化が激しく,現在は裏側の一面しか見ることができません.

その一面すらも,今にも剥がれてしまいそうな状態でした.

この神社の氏子である地域の防災士会の井川さんは,「この状況をなんとしなければ!」と思い,今年(令和3年)の7月ごろに,徳島市社会教育課や徳島大学環境防災センターに相談されました.


その結果,徳島市社会教育課の方が動いてくださり,応急処置ではあるものの,

①剥離がみられる箇所に石材用の接着剤を流しこんで固め,

②接着剤を目立たなくするように色を塗り,

③今後,劣化が進行する原因となるコケを取り除く作業をしてくださいました!

また,徳島新聞にも取り上げられたこと,井川さんが沖洲地区のタウンニュース“マリンピア(第360号)”に百度石の現状を投稿されたこともあり,地域の気運も高まり,以前から神社総代の中でも検討されていた木の覆屋が正式に建立されることになりました.

さらに,数年前に再建した新しい「百度石」にも,碑文が刻まれる予定で,後世への教訓のバトンが確かにつながることとなりました!

木の覆屋や碑文が刻まれたらまたこのブログでもご紹介したいと思います.


石碑の応急処置を行った2021年9月は,「百度石」が建立した1861年9月からちょうど160年目のことでした.

蛭子神社の神様も応援してくださったことでしょう!

合わせて,井川さんが声を上げなければ,今回のように石碑の補修や保全がスムーズに進むことはなかったと思います.


「百度石」の碑文にもあるように,実際に安政南海地震(1854年),昭和南海地震(1946年)と,おおよそ100年周期で大きな地震が起こっています.

今後起こりうる南海トラフ巨大地震も,今後30年以内に起こりうる確率が70~80%とされており,今の子供たちや若い世代は高い確率で,巨大地震にあうと考えられます.

次の南海トラフ巨大地震が起こるまでは,「百度石」を題材に地域の防災について考えるきっかけとして,建立していてほしいです.

四国防災八十八話倶楽部

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