【コラム5】沖洲蛭子神社の百度石のお話~その後~
11月初旬に,『【コラム2】沖洲蛭子神社の百度石のお話』という題で,百度石の修繕について書かせていただきました!
今回は,その後の百度石について進展がありましたので,お伝えさせていただきます.
修繕を終えた百度石ですが,劣化が進行することは間違いない状況でした.
神社の総代さんらが中心となり費用を捻出し,ついに覆屋が完成したそうです!!!
この覆屋はただ百度石を囲っているだけでなく,百度石の裏面にある碑文をみることができるように工夫がされているんです!
総代さんらの愛と知恵を感じますよね♪
また,数年前に再建した新しい「百度石」にも,碑文が刻まれ始めました!!
(再建していたものの,碑文は掘っていませんでした・・・)
こちらも,井川さんがこっそり(許可をいただいて)撮影してきてくれました!笑
ブルーシートで覆われた中で碑文を掘ってらっしゃる職人さん・・・すごい!!
そして,碑文の掘られた百度石がこちらです!
とても立派で輝かしい(*´▽`*)✨
碑文も3面しっかり読むことができます( `ー´)ノ
実は,この碑文の再現については少し難儀することがありました.
碑文を3面に掘り直そうと,いくつかの蛭子神社の百度石に関する資料を丁寧に見返すと,どれも少しづつ碑文の内容が異なっていることに,この神社の氏子であり防災士である井川博之さんが気付きました.
昔の仮名遣いや表記ですので,素人目にはどれが正しいものかわからず,,,
徳島市社会教育課の西本さんにご相談したところ,徳島城博物館で古文書を読むことができる学芸員の岡本さんをご紹介いただき,正しい碑文の文面をご指導いただきました!
色々な方々の愛と知恵の輪がつながり,
今回の百度石の修繕,保全,再建につながったのだと思います!!
今回,ご紹介した一連の経緯は令和3年12月21日の徳島新聞にも掲載されました!
https://www.topics.or.jp/articles/-/636230
この新聞で,徳島大学環境防災研究センターの上月先生が下記のように語っています.
『災害遺産は存在することで住民の学びの場となる.その価値に気づき,大切にしていく動きが広がってほしい』
四国防災八十八話マップをきっかけに多くのかたとのつながりができました.
また,それだけでなく井川さんのように,つながった方々の動機づけや活動のきっかけになるよう,私たちも今後の活動を続けていきたいと思います.
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