堤防を守る知恵と工夫
1787年の大洪水を受けて,古毛村(現在の阿南市羽ノ浦町古毛付近)の庄屋・吉田宅兵衛が阿波藩からの命を受け,1788年から私財を用いて那賀川に堤防を作ることになりました.完成した堤防は,長さ約1070m,底幅約44m,高さ約6mの当時では最大の堤防でした.
築堤中に流されたり,1804年の大洪水により決壊したりしましたが,1872(明治5)年までに,十数回にわたって修築,改修されました.
完成後も洪水により堤防が壊れることは度々あったため,庄屋の吉田家が中心となり,水勢を弱めるために牛枠(水の流れの向きを変えたり,堤防への水当たりを弱めるために堤防から川の中心に向かって出した構造物.丸太で組んで作った枠を石を入れた籠で抑えた)を作りました.
また,1867年の修築の時に、水の勢いをそぐため、那賀川に迫って立っている覗石山(のぞきいしやま )から長さ9メートル、高さ7.2メートル、周囲23.4メートルの巨大な岩を水の勢いの最も強い所に落としこみました.この岩は今も当時のままあり,地元の人たちから「大岩」と呼ばれ親しまれています.
牛枠や大岩といった昔の知恵や工夫は今でも私たちの生活を守ってくれています.
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